なせば成る なさねば成らぬ何事も・・・「上杉鷹山」米沢藩主、江戸時代の名君。 - とうほく見所より所

前月の人気記事
    宮城の ★おみやげ ★笹かまぼこ ★牛タン

    JR東日本ダイナミックレールパック

    高速・夜行バス予約サイト WILLER TRAVEL

    なせば成る なさねば成らぬ何事も・・・「上杉鷹山」米沢藩主、江戸時代の名君。

    「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬ成りけり」
     
     薄学の自分は「成りけり」って「成りにけり」だと思ってました、程度です。

    上杉鷹山

    上杉鷹山

     有名な上杉鷹山の和歌です。

     そんな和歌は昔何度か聞き知っていましたが、上杉鷹山の和歌だったなんて、覚えていませんでした。
     せいぜい、米沢藩の財政難を救った藩主ていどでしょうか。

    上杉鷹山

    ざっくり上杉鷹山


    上杉鷹山

     鷹山は、寛延4年(1751年)に日向高鍋藩主、秋月種美の次男として生まれました。
     宝暦10年(1760年)、10歳で米沢藩8代藩主重定の娘幸姫の婿養子となりました。14歳の頃から細井平洲に師事し、君主としての知識を磨き、その後の藩政改革に役立てています。

     17歳で家督を相続しますが、当時の米沢藩の莫大な借金知りました。
     この藩の状況を立て直すための決意として春日神社、白子神社に誓詞を奉納したようです。
    ・民の父母の心構えを第一とすること
    ・学問・武術を怠らないこと
    ・質素・倹約を忘れぬこと
    ・賞罰は正しく行うこと
     復興の近いですよね。

     17歳での家督から各種政策を実行し約20年、一定の財政再建の目途がたっって、天明5年(1785年)35歳という若さで家督を上杉冶広に譲り隠居します。

     隠居後も、相談役として藩政に携わりました。
     上書箱を設けて、藩財政再建のための意見を集約して藩費を半減、借金返済、16年で完済する「寛三の改革」を遂行。
     寛政6年(1794年)には、総延長32kmにおよぶ農業用水「黒井堰」工事に着手、翌年に完成など、20年後の文政元年(1818年)に竣工し、置賜の田畑は潤いました。

     それでも、藩財政は少しずつ好転していましたが、まだ借金は多く残っており、鷹山は相変わらず一汁一菜、綿服着用の生活継続。

     文政5年(1822年)3月12日、体調をくずしていた鷹山は、72歳でこの世を去りました。

    現代に生きる上杉鷹山


     2007年読売新聞が日本の自治体首長に行った「理想のリーダー」アンケートで、上杉鷹山が1位に挙げられています。

     1961年、第35代米国大統領になったジョン・F・ケネディの就任時、日本の新聞記者の質問に対して、日本で最も尊敬する政治家は、「上杉鷹山です。」と答えました。

    ざっくり上杉神社


    上杉神社

     明治9年、上杉謙信、上杉鷹山を祭神として、米沢城本丸跡に建立。
     明治35年に別格官幣社(べっかくかんぺいしゃ=明治政府が定めた神社の位置づけ、分類を表す。
     国に尽力した人物を祀る神社)に指定され、このとき祭神は謙信のみとなり、鷹山は摂社に祀られ松岬神社となる。
     大正8年に起こった米沢大火で類焼、ほとんどの建物が焼け落ちてしまったが、その後国からの援助金や米沢市民の労働奉仕などにより、大正12年、現在の神社が完成。
    米沢観光NAVIより引用
    ポチッとお願いします。
     

    2017-06-25 03:59 | Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
    この記事へのコメント
    コメントを書く
    お名前:

    メールアドレス:

    ホームページアドレス:

    コメント:

    当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます 
    Copyright © とうほく見所より所 All Rights Reserved.